スーパークリッピング(super clipping)とは、ドライバーがアクセルを全開に踏んだまま、マシンにわざと発電させて減速させるエネルギー管理の手法である。2026年シーズンに入ってから、中継のストレートエンドで繰り返し目にするようになった。フルスロットルなのにマシンが速度を落としていく。2025年までのF1では、まず見られなかった光景だ。
故障でもドライバーのミスでもない。2026年の新しいパワーユニット規則が生んだ、まったく新しい走らせ方である。だが、妙な話ではある。全開を保っているのに、なぜマシンは自分から加速をやめてしまうのか。そして、2025年まで誰も必要としなかったこの操作が、なぜ今季に限って欠かせなくなったのか。
スーパークリッピングの仕組み
主役はMGU-K(運動エネルギー回生装置)である。ふだんは後輪を回すモーターとして働く装置だが、スーパークリッピングの最中はその役割が反転する。
ビデオ解説:鈴鹿でのスーパークリッピングの鮮明な例です。フェルスタッペンがアクセルを戻していないのに、時速324kmから270kmまで速度が落ちていきます。ステアリングのディスプレイでバッテリーの放電も確認できます。
MGU-Kが駆動から発電に反転する
エンジンが生み出した出力の一部を、MGU-Kが吸い取って電力に変える。その分だけ、後輪に伝わる駆動力は削られる。だからドライバーが全開を維持していても、マシンは加速をやめ、むしろ速度を落としていく。ストレートエンドで自分のマシンが勝手に減速するように見えるのは、この反転が起きているためだ。
全開のまま充電できる理由
ここで効いてくるのが、発電中もスロットルは全開のまま、という点だ。アクセルを戻していないので、2026年に導入されたアクティブエアロは空気抵抗の小さい「ストレートモード」を保ち続ける。ドライバーが早めにアクセルを抜く「リフト&コースト」では、車体が抵抗の大きい状態へ戻ってしまう。スーパークリッピングは、その空力ロスを避けたまま充電できる。全開なのに減速する、という一見矛盾した動きに理屈が通るのは、ここだ。
最高速が頭打ちになるという代償
ただし、ただで電気が手に入るわけではない。発電へ回した分だけ駆動力が減るのだから、ストレート後半の最高速ははっきり落ちる。直線で伸び続けた2025年のマシンと違い、2026年のマシンはストレートの途中から速度が頭打ちになり、そのままブレーキングゾーンへ入っていく。オーバーテイクの場面で後続が急に追いついてくるように見えるのは、多くの場合ドライバーの腕ではなく、この頭打ちのせいである。
なぜ2026年に必要になったのか
では、そこまで速度を犠牲にしてまで、なぜ発電しなければならないのか。理由は2026年のパワーユニット規則そのものにある。
今季のパワーユニットは、内燃機関(ICE)と電気モーターの出力比がおよそ50対50まで引き上げられた。MGU-Kの最大出力は350kWに達し、2025年までの120kWから約3倍に増えている。一方で、熱エネルギーを回生していたMGU-Hは廃止された。
問題は、これだけ大量の電気を使う一方で、それを充電する手段が追いついていないことだ。従来の主役はブレーキング時の運動エネルギー回生だったが、2026年のマシンが求める電力量は、ブレーキングだけではとても足りない。
そこで新たな充電ルートとして規則が認めたのが、ストレートエンドでの「全開のままの発電」、つまりスーパークリッピングである。速度が落ちるのは設計上の副作用ではない。電気を確保するために避けられない代償として、はじめから織り込まれている。
序盤戦で起きていること
規則で認められた操作なのだから、素直に機能しそうなものだ。ところが序盤戦では、この「効き」が強すぎるのではないか、という声が各チームから上がった。
懸念はプレシーズンテストの段階から出ていた。当初の規則ではスーパークリッピング時の回生上限が250kWに設定されていたが、バーレーンテスト最終日には、これを350kWまで引き上げた状態でのトライアルが行われている。回生量を増やせば、ドライバーがリフト&コーストで速度を犠牲にする頻度を減らせるからだ。
この現象がとりわけ露骨に可視化されたのが、オーストラリアGPだった。アルバートパークは長いストレートの先が高速コーナーで、ブレーキングに使える時間がラップ全体の10%台前半にとどまる。回生の機会が限られるぶん、スーパークリッピングによる減速がいっそう目立った。ドライバー目線でも体感は異様だったらしく、ランド・ノリスは土曜の時点で「今までで一番ダメなマシンかもしれない」とまで口にしている。
とはいえ、これは2026年規則の根幹に関わる仕組みで、まるごと消し去ることはできない。FIAとチーム側は初回のテクニカルミーティングで改善に向けた議論を始めており、シーズンの進行中にkW値やデプロイメントの配分へ調整が入る可能性は高い。どこまで「効き」を和らげられるのかは、まだ見えていない。
観戦の見どころ
スーパークリッピングを頭に入れておくと、2026年のレースは一段深く見えてくる。あのマシンはなぜ直線で伸びないのか。後ろのマシンはなぜ急に追いついてきたのか。その多くは、ドライバーの腕ではなくエネルギー収支の計算結果である。
オーバーテイクも、単純なスリップストリーム勝負ではなくなった。どこで電気を温存し、どこで一気に使い切るか。その読み合いの結果として、勝負どころが立ち上がってくる。
全開なのにマシンが減速していく。冒頭の奇妙な光景は、ドライバーの失敗でも故障でもなく、盤面の裏で走り続けている計算が表に出たものだった。
関連用語
- MGU-K:運動エネルギーを回収・放出するモーター。スーパークリッピングの主役
- アクティブエアロ:2026年に導入された可動ウイング。ストレートモードとコーナーモードを自動で切り替える
- オーバーテイクモード:DRSの実質的な後継。一定の条件下で追加の電力を使える
- リフト&コースト:アクセルを早めに戻して充電する、従来型の燃費・電費走法
出典:formula1.com、The Race
最終更新:2026年04月

